06



 ギルは一刻も早く少女を逃がしたかった。自分は黒兎だから妖と互角に戦えるものの、彼女は齢十いくつの人間の娘である。太刀打ちなど出来るはずがない。
 唇を固く結んで、彼は少女を見た。黄色の瞳は彼女と――それから妖を交互に見遣る。
 妖は戦闘体勢に入ろうとしている。チャンスは今しかなかった。

「はやくにげてよ!」
「嫌よ!」
「なんでなのさ! あぶないからはやくにげてって言ってるでしょ!」
「危ないのは君も一緒じゃない!」

 少女はむっと口をへの字にするとギルをきっと睨んだ。穏やかな印象があったが、なかなかに我を曲げない頑固な性格らしい。
 鋭い眼光が突き刺さり、彼は思わずたじろいだ。その瞬間少女はギルの肩を力強く掴む。

 それがいけなかった。彼女は肩を掴むと同時に、耳を隠すために被っているローブをも握りしめてしまう。少女は力任せにギルを後ろへと押した。無論ギルになすすべはなく、重力に従って地面へと倒れていく。
 その拍子に、ローブは彼の頭からずれ落ちた。ぱさり、と乾いた音が耳に突き刺さる。

「ギル、そこにいたのか!」

 二人の言い合いを聞いて駆けつけたのは茶色い紙袋を抱えたダリだった。しかしダリは目に飛び込んできた光景にぎょっとする。
 見せてはならないと言いつけていた黒兎の象徴である黒い耳が、ぴんと天を向いていた。
 更に、そんなギルに少女は絶句している。言葉が出てこないらしく、口を数回開けては閉じてを繰り返すばかりだった。
 ギルの表情は、ダリからは伺えない。一秒一秒の時間がゆっくり流れ落ちているように感じた。
 妖は小さく呻きながら砂を蹴りあげている。今にも突撃しそうな様子に、ダリは焦る。
 二人に声をかけようと口を動かしたところで、少女はギルに近寄った。一体何をしようというのか、ダリはただ二人の掛け合いを見守るしかない。

「この……この化け物!」

 少女の口から飛び出たのは、暴言だった。
 ギルは頭に錘が落ちてきたような衝撃を感じていた。

「あんたのせいでお父さんは死んだんだ!」

 少女は力いっぱい怒鳴る。一点の曇りもない怒りの感情が彼女には満ちていた。
 側に転がり落ちている石ころを掴むと、ギルめがけて投げる。当然ギルの頭にそれは命中した。先が尖っていたらしく、彼の頭から温かな鮮血が滴っていく。
 ギルは何も言わなかった。ぼんやりと少女を眺めていた。

「あんたのせいで……!」

 少女が二つ目の石を投げようとしたところで、ギルはゆっくりと立ち上がる。
 それから右腕を隠していた革手袋を脱ぎ捨てると、赤子を撫でるような動作で地面に触れた。

「――おいギル、やめろ!」

 ダリが言葉を発すると同時に、辺り一面が爆風と爆音に包まれた。
 本当に一瞬の出来事だった。けれどあまりにも衝撃的だった。

 反射的に目を閉じてしまったダリは、おずおずと目を開ける。飛び込んでくる景色はあまりにも枯れ果てており、彼は言葉を失う以外の行動にとれなかった。
 村は荒廃していた。住居は見る影もないほど朽ちており、地面には一本の雑草も生えていない。辺りを見渡すも、妖の姿はどこにもない。恐らく逃げ遅れたであろう村人の白骨だけがぽつぽつと残っていた。
 ギルは能力を無意識下で酷使してしまったらしく、くたびれきった様子で地面に横になり目を閉じていた。腹が上下しているのを見ると、気を失って倒れただけだと予想できる。
 ギルの側には、白骨化した少女らしき者が一人。彼女の傍らには枯れたユリの花が散らばっていた。
 あまりにも、惨い。ダリは思わず下を向いた。

 砂利を踏む音。顔をあげるとイユがギルを担いでいた。その時にギルの胸ポケットから、橙色のユリが落ちる。それを拾うこともなくぼんやりと周りを一瞥すると、彼は踵を返す。

「帰るよ」

 一言だけそう呟いたイユは、後ろを振り向きもしなかった。

 ダリは帰宅すると、食料が入った紙袋を乱雑に机へ置くとある部屋に向かった。
 所々塗装がはげている扉についたドアノブを捻ると、ノックもせずにずかずかとあがり込んでいく。部屋の主は何事かと、頬杖をついたまま気怠げに視線を寄越した。

「どういうことだよ」

 ダリの声は震えていた。誰が聞いても明らかにわかる声色。怒りを必死に押し殺している声だった。
 問われた人物は目を細める。眼帯に隠れていない左目が、怪訝な目付きで男を捕らえていた。

「お前、ああなるってわかっていたのにギルを行かせただろ」
「……ノックもせずその言い種はなんだ」

 ユギは呆れた様子でため息を吐く。平然とした彼の態度が尚更気に食わなかったのだろう、ダリは怒りに任せて、ユギが頬杖をついている白い机を叩いた。

「お前、わざと、あの村を選んだだろ」

 本来なら胸ぐらを掴んで糾弾したいところを、ダリは我慢していた。隣の部屋には、ギルが眠っている。大きな声を出して起こしたくなかったのだ。

「だったらなんだ?」

 白々しい物言いに、ダリの怒りはピークに達していた。手のひらから炎を出すと、彼はユギにそれを向ける。








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